小林 孝 我が半生記
一時期ドイツの会社に勤めていたこともありいくつかのヨーロッパの国を訪問する機会を得た。これらの国々は永い歴史の中で幾多の戦乱・紛争を繰り返しながらも、現在アメリカ合衆国とも区分される西欧・東欧に共通の生活圏・思想を有するEU欧州連合を形成している。
「ローマ帝国は現代のEU欧州連合か?あのローマ人は何処から来て、何処に行ったのか?」との自らの問いかけであった。
コーカソイドとはいわゆる白人だけでなく、中東・インド亜大陸の主要民族、並びに北アフリカ人の一部も含んでいる。
ローマと中国は同じ日本語「皇帝」の称号を冠しているが、実体は大きく異なる。ローマ皇帝は市民会議・元老院からなる共和政の信託を受けて就くものであり、米国の大統領のように信任(選挙)の洗礼を受けなければならない。この点中国の皇帝は民を救い国を統ぶる天命を神から託された天子であるとの天命思想に基づいており異なるものである。
上記特徴を見ると、深化拡大を続けているがキリスト教を共通軸にするEU欧州連合よりも、移民による多人種社会を前提にした国家を運営し、摩天楼を築き上げ、世界の警察を標榜し、アフリカ系の大統領も輩出したゲルマン民族アングロ・サクソン系の米国の方がローマ帝国に似ていると思われる。
なお西ローマのラテン語に対し東ローマはギリシャ語が公用語。
しかしこの国家収入では広大な帝国の維持は難しい為、初代皇帝アウグストウスは利益の社会還元を政策化した。恵まれた者の公共事業への私財投入である。アッピア街道、ポンペイウス劇場、クラウデイウス水道など家門名をつけた公共事業を自らも率先して行った。
ギリシアを源とするノーブレス・オブリージュ(恵まれた者の社会的責務)はローマ、中世騎士道を経て現代まで西欧人の心的規範として引き継がれてきた。
なおローマ帝国は医療と教育を「公」の担当とはせず、医師や教師にローマ市民権を与えるなどの民間事業での振興を進めた。ちなみにこの医療と教育の民間頼りは現在の米国も同じである(この後2009年2月公的医療保険改革を公約としたオバマ大統領就任、米議会で賛否219vs212の抵抗などを受けたが2010年3月法案成立)。
図2(下)は中国の万里の長城を比較的に示している。あえて言えば中国が万里の長城建設で防衛を図ったが、ローマは道路、水道建設を通じて防衛・殖産を図ったといえる。
「全ての道はローマに通ずる」は歴史・文化の源流を表す言葉であるが、現実の道路も納得させられるものであった。
三次にわたるローマ帝国とのユダヤ戦争で、135年エルサレムは廃都とされユダヤ教徒の立ち入りは禁止となり、ユダヤ教徒の全世界的な散住(デイアスポラ)は1950年のイスラエル建国まで続いた。
西ローマ帝国滅亡後も新しい支配層であるゲルマン民族(ドイツ、フランス、英国など)の帰依を受け、一方ビザンチン帝国(東ローマ帝国)は15世紀までキリスト教の東方ヨーロッパへの発展を担った。
皮肉的ではあるが、キリスト教の国教化(380年)の後100年を待たずにローマ帝国が崩壊(476年)したのは一神教化がその重要な誘引であったとの指摘は多い。
ローマ帝国滅亡の原因としての通説「ゲルマンという蛮族によりローマ帝国は滅ぼされた」では1200年にわたる世界帝国ローマを成功に導いた自身の統治メカニズムと矛盾しよう。「476年ローマ皇帝ロムルス・アウグストウスが退位し、その後任が選定されなかった」ことによりローマ帝国は滅亡した。既に存在感が低下していた帝国の存亡はローマ市民にとって大事件ではなかった。
次のいくつかの要因によりごく自然発生的な政権交代であったようである。それにしても通説「ゲルマンという蛮族に---」の表現は、同様に外部地域に対して圧倒的な文化・力の差を誇っていた中華思想と共通しているようだ。こちらも「匈奴、鮮卑、吐蕃、卑弥呼」など偏見を十二分に文字化している。
また直近の北京オリンピック開催中の出来事として、旧ソ連邦のグルジア(図1参照)がNATO北大西洋条約機構への加盟をめぐりロシアと軍事衝突をした。そしてそのグルジアをEUが支援している現状は、同地がローマ帝国の同盟国であったとの2000年をまたぐ汎ヨーロッパ人の絆から来るのではと思う。
神聖ローマ帝国はフランス王家との緊張関係、ローマ教皇庁への従属関係で名目的に維持された国家といえる。18世紀の啓蒙思想家ヴォルテールによれば「神聖でなく、ローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない」と揶揄された。
あれほど地中海沿岸から現ヨーロッパに覇を唱えたローマ人は何処に行ってしまったのだろうか… 現欧米人(白色人種)のルーツはゲルマンやガリア人だとゆう… ゲルマンやガリア…他の異民族と融合してしまったのだろうか………?
したがってこの設問を考えるにあたって、ローマ帝国をアメリカに、ローマ人をアメリカ人に、ラテン語を英語に置き換えてみる。
現代のアメリカはイギリス系、アイルランド系、ユダヤ系、アフリカ系、アラブ系、中南米系、東洋系アメリカ人など多くの種族・人から構成されている。そして彼等を結ぶアメリカの言語が英語である。
そしてその英語を話す人種(生物学的な族)はコーカソイドといういわゆる白人種、ニグロイド(黒人種)、モンゴロイド(黄色人種)などからなる多人種のアメリカ人なのである。
したがって「アメリカ人は・・」と一括くりで呼ぶことに皆さんはしっくりこず、そのイメージが浮かばないのが現実かと思います。20世紀の豊かなアメリカ社会や世界に展開してきたアメリカ兵の報道からコーカソイド=アメリカとのイメージを植え付けられてきたのだが、現実はコーカソイドもニグロイドもモンゴロイドなどからなる多人種が混在しているのがアメリカ人なのである。
同様にローマ帝国といってもその構成種族・人は今で言うイタリヤ人、ギリシア人、ガリア人、アフリカ人、中東人、ゲルマン系のフランク族、アングロ族、サクソン族などから成る多種族・人国家であったのです。そして彼等ローマ人を結ぶ言語がラテン語だったのです。
ただコーカソイドとはいわゆる白人だけでなく、中東・インド亜大陸の主要民族、並びに北アフリカ人の一部も含む概念です。したがってローマ帝国の範図の殆どはコーカソイド人種のみの生活空間であったという点は、コーカソイド、ニグロイド、モンゴロイドからなる多人種の生活空間であるアメリカと大きく異なる点である。
ローマ帝国 | アメリカ合衆国 | |
---|---|---|
民族/種族・人 | 多 民族/種族・人 | 多 民族/種族・人 |
人種 | コーカソイドの単人種 | コーカソイド、ニグロイド、 モンゴロイド、オーストラロイドによる多人種 |
さて設問「あのローマ人は・・・」とよく言われるローマ人は実は彫刻、絵画、映画でローマ兵として颯爽と描かれるコーカソイドを我々が先入観で植え付けられていたのだろう。現実には今と変わらぬ中東・インド亜大陸の主要民族、並びに北アフリカ人からもなるコーカソイド=ローマ人が住んでいると言える。
ローマ帝国と類似のアメリカ合衆国において次の仮定をしてください。①仮に500年後にアメリカという国が無くなり、地図から国境・州境の赤い線が無くなる。ただし住民は変わらず住んでいる ②代わって新たにA,B,Cの国が誕生し赤い国境線が形成された ③A,B,C各々の国民は「我こそはあの栄光あるアメリカ人の末裔である」と誇らしく語る。
以上は現在のイタリア、フランス、スペインの国民が「我こそはあの栄光あるローマ人の末裔である」と誇っているのと同じプロセスです。「ローマ人はどこに行ったのか?」との設問に対しては「昔と同じ種族・人が今も変わらず住んでいる」とお応えしたい。
しかしこれらの「敗者をも含む多種族・人を同化させる国家思想・体制」がローマ帝国もアメリカも歴史上高く評価されてきたものなのです。「この国家思想・体制を歴史上最初に創造したローマ人は何処から来たのか?」についての伝聞を下記紹介させていただく。
紀元前2000年ほどの頃、小アジア(現トルコ)にはヒッタイト王国という人類初の鉄器を持った国が隆盛を誇っていた。その末裔にトロイア(図1参照)という都市国家があった。このトロイアに対してミケーネ(図1参照)を中心とするギリシア人の遠征軍が行ったギリシア神話上の戦争がトロイ戦争(BC1200年頃)である。
ギリシアに敗れたトロイア人達は500年を経てイタリア半島中部のラテイウム地方にたどり着き、地元のラテン人と融合してここに都市国家ローマとローマ人が形成された(ローマ建国BC753年)。その後ローマは広大なローマ帝国を形成するまで拡大し、ギリシアも支配することになった。
以上はローマ人の末裔たちが好んで用いる伝承であり、歴史的に確立された学説ではない。しかし「ギリシアに敗れた小アジアの末裔が500年を経てローマを建国し、やがて仇敵ギリシアを支配する」というストーリは超々大河ドラマとしてなんとなく納得するものである。
来し方と行きし方が後先になってしまったが、「ローマ人の末裔は昔と同じ種族・人が今も変わらず住んでいる。しかしローマ人の誕生は古代ギリシアをめぐる都市国家間の新反応からであった」と記させていただく。
一つ一つが壮大な主題であるのに、自分の理解能力に合わせて単純化しすぎたことを、次のお教えいただいた先生方に深くお詫び申し上げる次第です。
(本社:ドイツ・フランクフルト、海外事務所:東京/ 米国・マサチューセッツ)